vol.134 開拓

 当たり前のようなことでもあるけれど、茅刈りは田畑を世話する農業と似ているかもな…とふと思った。

 今年初めて茅刈りを行なういくつかの場所。前回述べたように、「よかったらうちの茅場も刈ってくれたら…」と、昨年地元の方から言って頂いた場所だ。

 背の高いススキ(茅)が伸び放題。散歩で通り過ぎるおばあさんが、「あそこは背が高くてええ茅が刈れるなぁ」とお話していく。

 失礼ながら正直なところ、茅は背が高ければ高品質というものでもない。使い手の好みや流派(?)にもよるが、“良い茅”の定義というものは奥が深いのだ。

 それはともかく。またまた失礼ながら、素人目には、“背の高い良い茅”の群生地に見えるだろう。けれど、数十年ぶりに茅刈りを行なう場所というのは、何かと障害が多い。

 まず、昨年の茅(ススキ)が立ち枯れたまま残っている。大半は雪で倒れているが、しぶとく立ち続けたものが今年の茅に交じって立っている。こちとら年中茅を扱っている職人なれば、新旧の見分けはすぐにつく。

 茅の束に、昨年の立ち枯れ茅を混ぜるわけにはいかない。1年間風雨にさらされて、もはやパキパキに脆くなっている。そんな茅を屋根に混ぜてはいけないから、刈るなら選り分けて刈らねばならない。極めて面倒臭い作業だ。

 別の茅場は、昨年のうちに全て刈り倒した。こうすれば、今年生えた茅は当然全て新しい茅ということになるからだ。ところが甘かった。昨年刈り倒して地べたに横たわる茅がとても邪魔で、これまた極めて刈りにくい。

 

 茅場は、毎年継続して刈り続けることで“良い茅”になっていくという。全て刈り取って、野焼きされれば申し分ない。養分過多にならないよう、次の年に何も残さない方がいいのだ。

 焼いてしまえば楽なのに・・・とつくづく思う。しかし小さな民有地のひとつひとつ、むやみに焼けるものでもない。毎年刈り尽くすより他にない。そして、そのためには一番最初の年は、古い茅を選り分けて刈るか、全て刈り倒して茅ゴミを除けるか、とにかく少なくとも最初は我慢の1年を越えなければいけないのだ。

 

 草ぼうぼうの荒れ地を新規に耕作しようと思ったら、田んぼでも畑でも並々ならぬ苦労がいるだろう。大地の力を思い通りにコントロールしていくというのは、知識と経験、そして根気と天運。一筋縄にいかないのは当然なのだ。

 

 毎年刈っている場所の茅が、今年は感覚的に曲がり茅が多い。昨年茅刈り後に、刈払機で神経質なほど丁寧にフラットにしたはずなのに。

 一方で、昨年刈らなかった、野焼きもしなかった所の茅が、わりと曲がらずに立っている。おっ、これはいいなと思って刈ろうとしたら、昨年の立ち枯れ茅がたくさん混じっている。あぁなるほど。昨年の立ち枯れ茅が支柱のような役割になって、今年の茅が傾かなかったのかも知れない…などと真剣に考える。農業漁業と一緒だ、天然物というのは人間の思い通りにはいかないものだ。

 全国にある何ヘクタールもの広大な茅場と違い、この辺りにあるのは各民家ごとの小さな茅採取地。それらを少しずつ復活させていく作業。先は長い。