vol.100 "ぶんな"という屋号

 おかげさまで『ぶんなの日記』も100回目を迎えることが出来ました。鬱になりそうなほど滅入ってしまう時期もありましたが、支えてくれた家族、仕事にめぐり合わせて頂いたお施主さんや関係者の方、この日記を読んで反響を下さった方々…他。本当にたくさんのつながりの中で生かされていると感じ、感謝感謝の毎日です。至らぬ立場ですが、今後とも、よろしくお願い致します。

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 どうして『ぶんな』なの?とよく尋ねられる。来たる『ぶんなの日記』100回目記念で説明しようと思っていたら、気づけばもうその時。この場をお借りして、ちょっと説明を…。

 ぶんな、にはふたつの由来を込めている。ひとつは木のブナ。もうひとつは、ブンナというカエルのお話。

 

 ブナという木は材木としての利用価値が低く、ある時期を境に、より材木向きのスギやヒノキの人工林へと姿を変えていった。

 しかしさらに時代が変わり、より安い外材が入ってくるようになってから、人工林は放置されがちになり、山崩れ、花粉症…逆に様々な弊害を引き起こし始めた。一方で、材木ではなく自然の一部として果たす役割の大きいブナの存在は見直され、わずかに残ったブナの原生林などは、未来・子孫のために残していくべき対象となっていった。

 独立を決めての不安な気持ちを拭うため、気晴らしに登った山で、たまたま出会ったブナの大木に願掛けをした。その時ふと、ブナと茅葺きの辿ってきた歴史は似ているな、と思った。

 ブナの原生林を守るように、茅葺きの歴史を継承出来る1人であること。それはいろいろなことを抜きにして、誇りに思って胸を張るべき立場なのだと思えた。

 "ブナ"ではピンときにくいので、少しもじって"ぶんな"。

 

 頭の中に"ぶんな"という単語が生まれて、思い出したのが、子どもの頃にチラッと読んだ記憶がある、水上勉さんの『ブンナよ、木からおりてこい』という本。調子に乗って木のてっぺんまで登ってしまったカエルのブンナが、命の危険にさらされながらも、より広い世界を知り、より多様な考え方、生き方などを受け止めていく、そんな感じのお話。

 思えば自分も、いつの間にか場違いな立ち位置になってしまった。前の仕事を辞めた時、次は頑張らず無理せず、フツーのレジ打ちとか運転手とかして淡々と暮らしたろう!とか思った時もあったはずなのに、なんで今自分はサバイバルな業界にひとりでいるんだろう…。不安に圧し潰されそうにもなる。

 けれど、この高さから見える世界ってどんなだろう? そこから目を背けなければ、それを楽しめるようにすらなれれば、きっとまた大きな自分になれる。ブンナのように。

 

 そんなこんなで、『茅葺き ぶんな』の屋号が生まれた。ぶんなさんと呼ばれるのは未だに気恥ずかしいけれど、誇りを持って背負っていきたい。

 

 そうそう、よくある間違い。

・『茅葺き ぶんな』って、「茅葺きぶってんじゃねーよ!」の意味ですか?

・ぶんなって、ぶん殴るとかぶん投げるの略ですか?

・(営業の電話):「"きぶんな"様のお電話でよろしかったでしょうか?」

 

・・・『茅葺き ぶんな』 今後ともよろしくお願い致します。