vol.87 まっくろくろすけ、になる

 屋根裏にいくらか茅があるはず、という家はわりと多い。トタンを被せたお家はもはや茅の葺き替えの必要がないため、それまでの数年せっせと刈り溜めた茅が、そのままになっていることが多いのだ。

 ご近所の家の屋根裏に茅があるらしいから、使えるなら葺き替え時に使って欲しい、というご依頼。茅は保存状態さえ良ければ、最近刈り取ったものである必要はない。チェックしたところ、多少の良し悪しはあっても、足しにするという意味であれば、使えるだろうと判断した。

 ひるんだ気持ちが芽生えたのは、屋根裏そのものの状況に対してである。長い歴史の間、囲炉裏などで火を焚き続けた家なのだろう。煤(スス)が、かつて見たことがないほど溜まっている屋根裏だった。床にも屋根の骨組みにも、たんまりとススが付着している。画像では伝わらないが、茅に付着したススもものすごい。これを、屋根裏の狭い開口部から全て降ろし、現場へと運び、そして屋根葺きに使う。今日…そしてこの夏は、毎日黒人のようになって帰宅することになるだろうと覚悟する。

 

 茅降ろしの日。お施主さんの親戚ご一同が集まって、バケツリレーを展開して下さった。屋根裏ポジションの自分は、この日のために上下ともブラックの作業着で参戦。唯一純白だったマスクはほどなく漆黒へと変化し、顔も真っ黒になってマスクとの境界はほぼなくなった。鏡で自分の顔を見たわけではないが、だいたいそんな感じだろう。

 茅の束を掘り出し、下へと放り出すたびに、大量のススが舞う。足元に置いていたはずの結束用の縄の束が、降り積もるススで時々行方不明になる。

 屋根を構成している骨組みの竹が、惚れ惚れするような煤竹(ススダケ)になっている。これは欲しい。耐久性を損ねない程度に外してもらって帰ろうかなどと思っていたのだが、そんな気分は作業開始後数分でついえた。早くここから出て新鮮な空気を吸いたい。けれど茅はまだまだ山のようにある。この茅を可能な限り外に出さなければ、この苦労の意味がなくなってしまう。

 

 奇跡的な雨のやみ間に、数人掛かり半日掛かりの茅降ろし作業を終えることが出来た。全く様子が分からなかった下の方々も、やはりみんな真っ黒だった。粒子の細かいススは、ちょっと洗ったくらいでは容易には落ちない。もう何も怖くないという気分に陥ってしまいつつも、地上に降りて新鮮な空気を吸い、飲み物を頂いた時の安堵感はなかなか言い表せないものだった。

 

 この黒い茅を使えば、ぶんなで用意する白い茅と混じってマーブル模様の屋根が出来上がる。そのことの確認をとると、それもよかろうとお施主さんは納得して下さった。そう、昔はめくった古い茅も再利用して葺いていたから、葺きたてホヤホヤの屋根でも黒混じりのマーブル模様になるのは普通だった。

 

 怒涛の一日ではあったが、思えば、茅葺き屋根の葺き替えのために親族が集まって共同作業するというのは、現在ではほとんど見られなくなった光景かも知れない。まして、その皆の顔がススで真っ黒であるなど…。

 完成した屋根に混じる黒いスジ模様を見て、あれがみんなで運び出した茅だねと話題になれば。そしてその鮮烈な記憶が後々、家族の思い出話となるなら…。勝手に、ちょっとジーンとくる。なかなかいい話じゃないか。

 

 黒い茅から放たれるススにむせつつも、頼むぞ、と念を込めて屋根を葺く。きっとこの茅は自分が生まれるより昔から、あの屋根裏でこの時を待っていたのだろう。茅からも「頼んだぞ」と言われている気がする。