子どもの頃から、ちょっとした小物作りは好きだった。冒険ごっこ用の剣や弓矢に始まり、前職の頃は仕事柄 "~細工"といった類の地域文化に多く触れ、茅葺き職人となった今では、市販されていない道具などを自作する。
趣味であり特技であるとも言える分野だけれど、ふと共通項があることに気付いた。自分の場合、"その辺(自然)で手に入るもの"、"何かの副産物"など、基本的にお金で買う材料ではないもので物作りをすることが多かった。木の枝、竹、稲わら麦わら、粘土…。ケチな本性が出ているだけかも知れないが、ようは肥後守ひとつ持っていれば何とか作れてしまえるような規模のものが、自分の好みに合っていたのだろう。
規模こそ違えども、茅葺きも"その辺に生えている草"で作る屋根だ。そう考えると、何となくこの仕事にも納得がいく。
昨年から隙間時間を利用して、わら細工、茅細工をちょこちょこと進めてきた。ホウキや鍋敷きなど身近な生活用品を中心に製作して、ブース出展やワークショップの機会も頂いた。注文して下さる方もたくさんいて、本当にありがたい限り。心を込めて作ったものは、やはり人に喜んでもらえることで初めて嬉しい。
ただ悲しいかな、一生懸命に作れば作るほど、世の中の量産品の出来栄えと価格に愕然としてしまう。充分使えるそこそこのものが、100均で揃ってしまう時代。
手作りの工芸品は、如何せん市販品に比べ高額になっていく。なのに、プラスチック製などの廉価品の方が、コスパの点で遥かに優れている現実。各地の伝統工芸も廃れていくわけだ…と身をもって痛感する。
ところが。
茅葺きと同じだな。そう思った時、あれ?と、逆に光明が見えた気がした。
茅葺きもまた費用のわりに寿命の短い屋根。廃れていくのも仕方がない面はある。しかし、いつか役目を終える日には土に還ることが出来る。そして、自然の恵みによって何度でも再生を繰り返すことが出来る。師匠の受け売りになるが、それが、一見わずかな寿命しか持たないように思える茅が織りなす、永遠性。
便利で安価なプラスチック製品、金属製品。自分もよく利用する。しかしこれらは、処分したい時に大抵困る。どう捨てたらよいか分からない。
しかし草工芸品は、土に捨てても、炎で焚き上げても、それが自然。壊れたら直せばいい、直せなくなったら土に返し、自然の恵みから新しいものを作ればいい。昔は新年を迎えるたびに新しく作り替えた、という生活雑貨も少なくない。
得るのも捨てるのも、自然に迷惑を掛けない。そういった意味で未来がある、永遠性がある。これは工業製品にはない、誇っていい部分だろう。
いつもお金の心配で頭はいっぱい。しかし来たる未来、財布の中身よりも、辺り一面の草を活かせる人間の方が必要なこともあるかも知れない。衣食住に立ち返ってものを考えられたら、辺りは自然の恵みでいっぱいなはずなのだから。
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