vol.71 誰が為の茅葺き

 あまり珍しいことではないが、廃屋となった茅葺きを見つけた。もはや茅葺きの修繕どころではない。家屋そのものが崩壊寸前のものだった。

 茅葺きは土に還るエコな建材。とは言うものの、現実的な問題は、こうしてまるごと土に還っていってしまう茅葺き家屋が、後を絶たないことだろう。

 

 茅葺きの工事は期間がかかり、そして材料費が高い。総じてお金のかかる屋根となっている。

 材料と言っても、そこら辺に生えているススキではないか。刈り取って使えば材料費はタダではないか!というのが当然の発想であるし、正解。実際、そうやって集落で刈りためたススキを各家の葺き替えに利用していたから、ひと昔前までは茅葺きは庶民の屋根として維持されていた。そうした地域の相互扶助のシステムが失われてきたからこそ、茅(ススキ)は刈るものではなく買うものとなっているのだ。工期の長さ(手間)についても同じことが言えるだろう。

 

 茅葺きは持続可能な社会につながる、人にも自然にもやさしい屋根。

 だからオーナーになりますか、と言われても、正直苦しい。好きだから、エコだから、だけではお金の問題は解決しない。多量に落ちてきて庭や玄関先を汚すコケも、雨漏りの心配も、悩みの種である。

 

 高額=職人が荒稼ぎしているのでは、と見られがちかも知れないが、茅葺きが儲かる仕事なら絶滅危惧職になったりしない。そして原則的に、茅葺きの新築はない。こうして廃屋化した茅葺きを次々目にするたび、またひとつ仕事が失われ、職人同士が喰らい合う未来に近づいてしまうという不安もある。デフレスパイラルに陥ればなおのことである。

 

 高い材料…茅の販売者が儲けているのかといえば、それもおそらくないだろう。種も蒔かずに育つに任せ、刈り取りと販売。おいしい話のようだが、作業は大変であり、一人の人間が刈れる量など知れている。集団で期間をかけて行なうには、人件費も発生するし、それも歩合制でなければ成り立たないのではなかろうか。茅刈りの時期だけ都合良く人を集めることも難しい。

 

 じゃあ、茅葺きに喜びを感じるのは誰なのだ?所有者以外の"茅葺き関係者"や、観光客やカメラマンが喜んでいるだけでは、何かが違うだろう。お金の問題を主軸にしているからネガティブな部分しか見えないのかも知れないが、やはりそこを無視して茅葺きを語ることは難しい。

 

 何か答えはあるはず。茅葺きを少しでも安価にする方法、相互扶助システムの復活、家の耐久年数や新築至上主義の打破・・・。

 自分の硬い頭では、目の前の茅をどうやって葺くかだけで精一杯。

 けれど、三方良しの茅葺きの在り方も、探っていかなければいけない時代であり、立場であると思う。