vol.6 初めて感じた、茅葺きへの愛おしさ

 長雨で現場がストップしている間、台風被害の処置に追われている。通常、雨の中で茅葺きの作業はしないが、屋根に穴が開いていればそうも言っていられない。

 

 台風で軒から上がゴッソリと欠落してしまったというお家。屋根そのものが部分的に消失してしまっているので、補修というわけにはいかない。薄く、葺き直す形で大きな穴を埋めた。

 

 お施主様からは、近年中にトタンで覆うつもりであるという心中をお聞きした。茅葺き職人として残念ではあるけれど、同時にその心情もいくばくかは分かるつもり。実際、茅葺きの家を維持していくのは、現実問題として大変なことであるから。

 

 近々トタンで覆うつもりの屋根、の処置。こんな気楽なことはない。いつもどうやったら少しでも長持ちするか試行錯誤しながら葺くのに、今回は、ほんの数年もてばよい、という条件なのだから。言ってしまえば、反則技使い放題である。

 

 なのに。

 本意ではないけれど、トタンで覆うしかない。そうお施主さんから伺った後の茅葺き屋根は、なんだか見え方が違った。局所的に葺き替えていくさなか、いろいろな空想が頭をよぎった。きっとお施主さんは、いよいよ葺き替えだ、とか、前回葺き替えた時は~があった年で…とか、この屋根とともにいろいろな歴史を共有したかっただろうな、と思うと、なんだかせつなかった。大部分が朽ちてきている物言わぬ屋根が、その想いをまた引き立てた。

 

 お茶に呼ばれて一服に降りると、お施主さんから、「ああやってきれいになっていく屋根を見ると、なんだか…」と。やっぱり、そうですよね。

 何も出来ない。数年耐えればよいという反則技使用の応急処置にも、変わりはない。

 だからせめて、全て作業が完了した後の屋根を眺めながら思った。そうして歴史を刻んできた姿、しかと見届けたからな、と。トタンの中でゆっくり眠るまでの間は面倒見るから、安心しとき、と。

 屋根からの返事が聞こえる境地には達していないけれど、初めて、茅葺き屋根と対話が出来た気がした。